このブログは

上京&新婚生活と、リウマチ治療と、不登校ひきこもり経験と、妊娠と、ペットのオカメインコと…なんでも書いてよかろうもん! そんなブログです。

2022年12月30日金曜日

東京直下72hTOURを夫と体験

東京防災 amazon

もうすぐ年末の大掃除を控えています。我が家の防災用品も点検と見直しを考えており、ついでに記憶を思い起こしながら、防災体験施設に行った体験を書きたいと思いました。もっとちゃんとしたレポートのような記事や、体験動画等は検索すると出て来るはずなので、詳しくは防災体験学習(そなエリア東京)で調べてみてくださいね。

地球温暖化が進むと、よりいっそう豪雨や台風の災害が増すと言われているそうです。ということは、地震も増えるんじゃないの?と思ってしまいます。私は素人ですが…地震の後には必ず雨が降る現象を見ていると、天と地も連動して何かしら影響し合うような気がします。

我が家の防災リュックサック

夫と結婚する前に二人で引越し先を探していたころ、賃貸物件を探す条件として私が頑なに譲れない条件がありました。その条件とは、低層階に住むことです。地震が多い東京では、陽当たりや景観より安全が一番だと思います。ただし、低層階を条件に物件探しをしようとすると選択肢はかなり狭まってしまうので、転入転居が多い時期に探す方がおすすめです。私達が探していた時期は夏で選択肢は少なかったものの、運良く条件通りの物件を見つけることが出来ました。

こうして念願の低層階のお部屋を見つけましたが、やっぱりまだ不安が残ります。なぜかというと、私は20年以上も経った今でも東日本大震災のテレビ中継映像が忘れられず、震度7が2回も起きたあの熊本大震災を少し離れた福岡でも経験していたからです。地震以外には豪雨災害も2回ありました。豪雨や地震も特別大きな被害を受けたことはありませんが、とても身近なことだと感じていました。

そこで、不安があるなら解消するしかない!と思い立ち、夫と二人で防災体験をしてみることにしました。これから二人で暮らし始めると当然、荷物や家具も増えるはずです。これからの二人暮らしの安心安全のために(大真面目に)防災体験施設デートです!!

そなエリア東京 巨大な通信アンテナ
関東の防災体験施設はたくさんあります。どの施設も魅力がありますが、なかでも[そなエリア東京]は他とは違う体験をすることが出来ます。こちらの東京直下72hTOURという体験ツアーは、首都直下型大地震の発生から避難までを体験し、72時間生存するためにはどうするのか学ぶためのツアーです。災害時に72時間は重要なタイムリミットであり、この時間を境に生存率が低くなります。救助や支援が来るまでの間、この72時間を生き残れるかどうかがポイントになるのです。参加費はもちろん無料で、所要時間は実質1時間程です。

そなエリア東京に到着したら荷物は施設内ロッカーに預けて、いざ体験ツアーへ向かうことにしましょう……!

体験ツアー入口前、受付で待っていると、ガイドのスタッフさんがツアーの説明をしてくれます。1人につきタブレットが1台、ペアになっている人にはまとめて1台配られます。最初はスタッフに案内されて、エレベーターホールのような場所へやってきました。

ここから体験ツアーが始まります。映画館で映画を観た帰りに、エレベーターに乗っていると地震が起きるというシチュエーションです。乗っていたエレベーターの電気は途中で消えて暗くなり、「地震が発生しました」という機械音声が流れたりします。なかなか怖いです。渡されたタブレットに、まずエレベーターから出て、建物から外へ脱出しなければいけないという課題が出るので、タブレットの出すクイズに答えながら進んでいきます。

エレベーターから出て、建物から脱出すると、地震で崩壊した街に出ます。これがかなり本格的な映画のセットみたいで圧倒されました。上から落ちてきそうな看板が動いたり、建物に押しつぶされた(突っ込んだ?)車から火の手が見えたり、「助けてー!」人の声が聞こえたり、コンビニやお店の店内はグシャグシャになって散らかっています。加えて街頭の大きな液晶画面には地震の中継をするニュース番組が流れていて、緊急地震速報の音がひっきりなしに流れて来るので、トラウマがある人には耐えられない場所かもしれません。ここでもタブレットからクイズが出て解いていきますが、全員のクイズが同じではありません。タブレットごとに違ったクイズが出るので、参加者は進むルートが分かれていきます。

例えば、「火災が起きている建物から人の声が聞こえています。あなたはどうしますか?」

選択肢は、「消火して助ける」「人を呼ぶ」「消防救急車を呼ぶ」の中から答えを選びます。

私たちは「消防救急車を呼ぶ」を選びましたが、不正解。正解は「人を呼ぶ」でした。災害発生直後に消防救急車なんてすぐ来れないから、周りの人を呼んでみんなで救助しないとダメみたいです。

こんな感じでクイズを解きながら、荒廃した街を進んでいくと、街を出て大きな液晶のある部屋へ移動します。ここは正直あまり内容は覚えてないです。

映像を見終わると次の部屋へ、街を抜けて、無事避難所へ到着しました。ここでは、被災してから避難生活をどんなふうに過ごすかを学べる部屋になっています。またここでも様々なクイズが出ます。ここで竈門(かまど)ベンチの存在を初めて知りましたが、公園にあるただのベンチがコンロになるなんて驚きです。他には個室トイレの作り方や、避難所での仕切りの工夫、遊びの工夫など、たくさん紹介されていて勉強になります。

最後の部屋では、地震に対する知識が学べる場所になっています。耐震化の建物の仕組みや、地震の周期とメカニズムを展示していました。

国の偉い人が指揮をとる部屋

途中、窓から覗くことだけができる広い部屋があるんですが…なんとここは実際に災害が発生したときにも使われる本物の緊急災害現地対策本部です!映画「シン・ゴジラ」のロケにも使われた部屋なので見覚えのある方もいるのでは。部屋の中には入れませんがガラス越しに上から見渡せるようになっていて、隅々までよく見ることが出来ます。

ツアーの最後にはタブレットでクイズの採点評価されます。私たちの点数は……70点くらいでした!!自分は災害に対する意識が高めだと思っていても、意外と知らないことがいっぱいでとってもためになりました。

これから同棲を始めるカップルの方や、新婚のご夫婦や、小学生くらいのお子様がいるご家族など、遊びに行くような気軽な気持ちで訪れてみてはいかがでしょうか。無料で体験出来るのにとてもクオリティが高い防災体験施設です。東京に住む前は高層ビルだらけの都市で危ないなと思っていましたが、その分防災意識は非常に高く、ただ開発されただけの都市ではないこと知りました。

地震があるたびに「南海トラフが〜〜!」と不安になるくらいなら、まず備えましょう!

まず知ることだけでも備えの第一歩になるかと思います。

2022年12月23日金曜日

私のオカメインコと、捨てられたセキセイインコ

鳥の飼い主さんや、ペットを飼われているすべての方には、辛い話になります。読むときは注意してくださいね。


オカメインコのキューちゃん

私の家には、10歳になるオカメインコがいます。まだ私が20代の学生のころから、大事にお世話してきました。昔なら鳥は鳥カゴの中で過ごす生き物で、鳥カゴの外で遊ばせたりせず、触れ合うことなどなかったでしょうが、今ではコンパニオンアニマルと言われ、鳥は観賞用のペットではなくなりました。それに、犬猫より安価で初期費用が高くなく、集合住宅でも飼いやすいと思われるためか飼う人がどんどん増えているようです。

しかし、実際は初期費用以外の費用が結構かかりますし、集合住宅で飼うには意外と鳴き声が大きかったりして、飼ってみなければ分からないことがたくさんあるでしょう。鳥を飼われたことがある方なら分かるはずです。

手作りした暖簾の向こう側にはキッチン

特に注意しなければならないことは、ペットの脱走です。私は飼っているオカメインコを毎週放鳥させるとき、絶対にドアを開けっぱなしにしない、絶対に窓を開けないようにしています。また、ワンルームで飼っていたときは、暖簾をかけてキッチン等の危険な場所へ飛んで行かないように間仕切りをしていました。一度でも小鳥が外に出てしまえば、ほとんどの場合、帰って来ません。「外に出る=死ぬ」と言っても大げさではないです。

それでも、運良く迷子の小鳥が保護されることもあります。保護した人は飼い主を探しますが、もしも飼い主側に探す意思がなく捨てられた小鳥だった場合は、保護した人が飼うか、飼わないか選ばなければなりません。

ある夏の日、私は買い物へ行った帰り道を歩いていると、道端で一羽のセキセインコを見つけました。きれいな青い羽に幼い顔をしたインコで、まだ上手く飛べないのか歩道に落ちていました。私が驚いて立ち止まっていると、インコは飛び上がって近くの木の枝に止まりました。このあたりにはカラスや、大きな野鳥や、野良猫も多く、野生では目立ち過ぎる色をしたこのインコが果たして生きていけるのか心配になりました。インコはまだ手が届きそうな低い位置に止まっていて、手が届きそうです。私は買い物袋を歩道に置いて、このインコを捕まえることにしました。この時もっとよく考えるべきでしたが、昔飼っていたセキセイインコに似ていてどうしても放っておけません。20〜30分くらいかけてようやくインコを捕まえました。怖がらないように持っていたハンカチで緩く包みこみ、何度かインコに噛まれながらもどうにか自宅まで運びました。

自宅に着き、すぐに小型の鳥カゴに迷子のインコを入れました。幸い家には飼っているオカメインコを移動させるときに使うカゴが余っていたので良かったものの、無ければ何か箱に入れないといけません。外で拾った動物と、もともと飼っている動物を接触させるのは危険です。喧嘩したり、病気をもらうリスクを考える必要があります。

翌日、保護したインコは警察に届け出を出して飼い主が探していないか調べてもらいました。警察へ届け出るときは「もし飼い主が見つからなかった場合、あなたが飼えますか?」と聞かれて、大事な選択をすることになります。私は来月に結婚のため今月中に引っ越す予定だったので「飼えません」と答えました。インコはその場で警察署に預けられ、そこで飼い主を待つことになりました。情報は警察署の落とし物掲示板に載せられて、いつでもネット上で検索できますが、画像も無く、表記も簡素で「鳥・青色・拾った日付と場所」等としか書かれません。もし飼い主が見つからず、飼われなかったインコはどうなるのかというと、犬猫のように保護されて里親を探されることもなく、おそらく処分されるのだと思います。このことは調べてもあまり情報が出てきません。また警察や保健所を批判する気持ちは一切ないです。

インコの保管期限まで3ヶ月はあったので、私はできるだけのことをしようと思いました。協力してくれる人もたくさんいました。まず保護した直後にこのことを相談した彼(今の夫)は、SNSで情報を拡散して飼い主探しを手伝ってくれました。私もまた、迷子保護ペットの掲示板に情報を書いて、それを友達が拡散してくれて、鳥の保護団体に情報拡散をお願いすることもありました。自分から発信するだけでなく、似たような条件で探している飼い主がいないか調べて話しかけることもありましたが、飼い主は見つかりません。そしてついに、インコの保管期限日を過ぎてしまいました。

あの迷子のインコはおそらく捨てられたインコだったのに、二度捨てられることになってしまいました。

飼い主を見つけるまで3ヶ月の期限付きでも保護するべきか、保護せずに野生で生きるようにしてやるべきか、リスクを取ってでも飼うべきなのか、私はどうすれば良かったんでしょうか。セキセイインコを捨てた飼い主は反省して欲しいです。そして保護した私の行動も正しかったのかどうか反省しています。今でもずっと忘れられない出来事です。

迷子になっても探せるように足輪を付けています

ペットが思うように懐かなくて可愛くなかったとしても、捨てないでください。飼えない事情があるときは、責任を持って里親を探してください。ペットにとって飼い主さんは友人で恋人で親で家族であり、ただひとりだけです。どうか、今飼われているペットたち、みんなが幸せに生きれられますように。

2022年12月19日月曜日

リウマチになって良かったこと

関節リウマチって、どんなイメージがありますか?

お年寄りのお婆ちゃんが曲がってしまった手足を、かかりつけ病院で治療してもらっているイメージがあると思います。

しかし実際は、30代から50代の女性が発症しやすいそうです。

私は昔から健康で大きな病院に一度もかかったことがありません。母は体が弱いですが、親族にリウマチがある人はひとりもいません。でもある日突然、私はリウマチを発症しました。今は早期治療を始めたおかげでとても状態は良く、寛解状態だと医者から言われています。

私がこうなったきっかけは、仕事中に無理をして手首を酷使したあとに、痛みがとれず、それが1ヶ月以上治らなかったことでした。

仕事柄は工場の力仕事でしたので、以前にも手首を痛めてガングリオンができたことがありました。今回もまた同じように何週間かすれば治るだろうと思っていました。ところが、1ヶ月経っても治らなかった手首の痛みは次第に両方の手に広がってゆき、肩や、膝、腕とあちこちに広がり、まるで痛みが転移していくように毎日どこかが痛いのです。腕が痛くて上げられないときは車の運転が難しく、怖い思いをしながら毎日通勤し、膝が痛めば階段の上り下りがキツく、職場の和式トイレが使えない、ひどい時は歩くことも辛く、とても仕事どころではありません。それでも工場の仕事は体を使わないことは出来ませんから、ひたすら我慢しました。夜寝ているときも、急に体が痛み始めて眠れない日々もありました。ここから診断されるまでが長く、半年間も痛みに耐えることになりました。

最初は、近くの整形外科クリニックで診察してもらい血液検査をしました。結果は「関節リウマチかどうか不明、まだ若いから他の膠原病の可能性もあるので大きな病院へ行って検査したほうが良い」と言われ、地域で一番大きな大学病院を紹介してもらいました。

次に大学病院へ行くと、他の膠原病の可能性は無く、やはりリウマチを疑われましたが、まだ治療するまでの段階になっていない状態らしく、湿布と強めの痛み止め[ロキソニン]を処方されるだけでした。そこから半年間はロキソニンで痛みを紛らわせるか、湿布で冷やすしか治療方法はありませんでした。リウマチはその日によって症状が違っているため、診察日が連休明けだったりすると、リウマチだと診断されないんですよね。「仕事が忙しくて休めないから」と後回しにしないで、忙しいときこそ早めに病院で診てもらうべきでした。仕事が繁忙期を過ぎた後で、後回しにしていた病院に行った日、ついに関節リウマチの診断を受けて、ようやく治療を始めることになったのです。治療薬の[メトトレキサート]は週に1度だけ、副作用を抑える[フォリアミン]も次の日に1度服用するだけでしたが、薬はとてもよく効きました。治療薬のおかげで体はすごく楽になりました。このような治療ができなかった昔は大変だったそうですね。痛みの原因を止めることが出来ないので、痛み止め薬で紛らわせるしか方法がなく、リウマチは「不治の病」と言われていたようですから。医療の進歩と恵みに感謝して、ありがたく今日を過ごせます。

私の仕事は、大学卒業後に正社員で5年間続けてきた仕事でした。所属は製造の部署で、納期に追われる過酷な現場です。それでも高校生で不登校とひきこもりを経験した私にとって、ここまで続けてきたことは誇らしく自信になっていました。もう少し、あと1年は続けたいと思っていましたが仕事で無理をすればまた体が痛みました。私は仕事を辞める決心をして、お付き合いしていた彼と結婚することにしました。

私がリウマチになって良かったことは、一度歩みをとめて、人生を見つめなおすきっかけができたことです。「結婚はまだ先のこと。もっとちゃんと自分が成長できてから」と先延ばししていた結婚を決めるきっかけになったからです。

会おうと思えばいつでも会える人、行こうと思えばいつでも行ける場所、毎年開催されるイベントや行事、今持っている自分の仕事………それらがいつまでもあり続けると思いますか?

あたりまえのことを失ったとき、人生の妨げになるような障害や、病気、災いが起こったとき、誰でもひどく落ち込みます。時間がかかっても、受け入れられないこともあると思います。でも、いつか意味を見つけることができたら、今よりもちょっと前向きに、自分を明るい方へ連れて行くことができるような気がします。

祖父と祖母の墓地がある場所
2020年、西日本豪雨災害でひどい被害があった大分県の天ヶ瀬温泉地
廃墟の旅館が多かった

2020年
コロナ流行で世の中がマスク不足で値段が上がり、手作りしたこともあった


2022年12月15日木曜日

運命的な出会いで結婚した話

 自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ。岡本太郎(日本の芸術家 / 1911~1996)

 

夫との出会いはSNSでした。友人知人たちに結婚相手が東京の人だと言うと、みんな「どこで出会ったの?」と聞かれて、「ネットで…」と答えると、よく「現代的だね」だと言われました。

ニュースでは、ネットで知り合った人と不幸な事件になる、というようなことがよくありますね。私の両親が彼(今の夫)を初めて知ったときも、両親は彼を疑ってひどく警戒し心配していました。「詐欺なんじゃないか?」と言われ続けました。私はSNSで1〜2年程前から彼と知り合い、まったく会ったこともない人だけど、日常の暮らしぶりを見て、会話をして人柄を知って、これまでにない安心感と好印象を持ったのです。やがて私から彼に告白して、親には内緒で東京に会いに行き、結ばれました。31歳で初めてできた彼氏です。

2021年の当時、東京は緊急事態宣言を出しているコロナ禍真っ只中で、私は一度、彼と会うための東京旅行計画を取り止めにしました。彼がまだコロナワクチン接種を受けておらず、心配だったためです。開催延期された東京オリンピックが開催し終わったあと、彼からホテルで会おうと誘われて、それが私たちの初めてのデートでした。ただ、幼いころ私は痴漢にあい、異性と関係を持ったことがなく、いきなりホテルで会うのは緊張しましたが、彼なら不思議と安心できました。実際に会ってみると、思った通り彼はとても優しかったです。私はあの時、もう過去に縛られず勇気を出して良かったなと思います。

もちろん両親の不安と心配も十分理解していたので、まずは彼と直接会って話してみて欲しくて、付き合ってからわずか数ヶ月間で、私は彼と両親を会わせることにしました。彼は初めて九州にやって来るうえに、彼女の両親に挨拶するという難題がのしかかり大変だったと思います。これがきっかけだったのか分かりませんが、九州に来る前から、彼はもう私と結婚する気持ちでいたようです。「いつか結婚したいなぁ…」とぼんやり考えていた私に、彼は当時、10年以上付き合って結婚した芸能人の話を例えに出して、「俺もずっと(私と結婚するまで)待ってるから」と言われました。

しかし両親に挨拶するときには、いきなり結婚の話は急だろう…と考えて私も彼もあえて言いませんでした。それが後から、両親を困惑させてしまいましたが、その後、彼はもう一度会ってちゃんと話をしたので、今度は両親の納得と安心を得て上手くいきました。

私たちの馴れ初めを振り返るとき、彼はよく「運命だったね」と言います。

確かに、私たち夫婦は似ている部分が多く、不思議な結びつきがあるような気がします。名前や、体質や、考え方や、趣味嗜好などが似ているのです。それに私は彼の行動がなぜか予測出来たり、結婚してからも待ち合わせていないのに偶然ばったり会ったことも多々あります。不思議ですよね。私たちは結婚するまでにわずか4回しか会っていません。それでもなぜか、二人とも運命的なものを感じていました。

私は彼に出会わなかったらずっと1人だったと思います。もしも私がSNSで彼を見つけなかったら、彼が私と両思いになってくれなかったら、私はきっと今も九州の小さな会社で働きながら、友達や両親はいるけど独身で、どこか侘しく、何かが欠けたまま、それが何かも知らずに、ずっと一人で暮らし続けていたと思います。私がこれまで交際経験がなかったことは、彼に出会うために運命が動いていたからだとすれば、今ではすべてが良かったことなんだと気付きました。夫に出会えて、結婚できて、本当に良かったです。

彼と会うときはいつも空がきれいでした



2022年12月13日火曜日

誰かの元気になればいいなと下心を持っています

私は小学生のころ痴漢に合い、かれこれ彼氏いない歴=年齢の女でした。だがしかし、昨年31歳で初めて彼氏ができて、九州(福岡)と関東(東京)の遠距離恋愛を経て今年の10月に結婚しました。人生はチョコレートの箱みたいなものですね。何が起こるか分かりません。

結婚前からオカメインコを飼っていたため、新居はペットが飼える場所を探し、結婚と同時に小鳥を連れて新幹線で上京。引っ越し代は節約して新居へ荷物を届けるまで数日かかる安いプランにしたので、キャリーケース+小鳥移動用ミニケージ+大きなケージ+数日分の生活用品等ものすごい大荷物でした。いつもは飛行機で福岡から東京に行っていましたが、初めての長距離新幹線移動で夜に東京に着いたころ、私とオカメインコはクタクタに疲れていました。

新居であたたかく出迎えてくれた夫は、私の好きな紅茶を用意してくれていました。私は毎朝、紅茶をミルクティーにして飲んでいます。夫は、関節リウマチを発症し診断されるまで私がひどく落ち込んで「別れよう」と言っても、「放っておけないよ」と抱きしめてくれた優しい人です。

夫と初めて会った日に私がプレゼントした思い出のペアグラス

オカメインコは、環境の変化と緊張でずっと餌を食べられなかったようでしたが、引っ越し後は少しずつ慣れて1〜2週間で元通り元気になりました。名前はキューちゃんです。オカメインコのオスで口笛や言葉をマネしたり、ご機嫌なときはダンスをしたりします。今年で10歳になりました。大切な家族です。

私は関節リウマチを患っていますが、自己注射するタイプの薬、生物学的製剤[シムジア]を使って治療しています。この薬は妊娠と授乳に影響しないリウマチ治療薬なのです。しかし、この薬はかなり高価で保険適用しても2本で3万円以上もします。31歳でリウマチを発症し、しばらくは一般的で安価な治療薬[メトトレキサート]を使っていましたが、これは流産のおそれがある薬なので結婚を機に生物学的製剤を使うことを決めました。

不妊になってしまう理由には、病気の治療薬が関係することもあるのです。リウマチのように患者数の多い病気は難病指定にもなりません。妊娠を望むなら高価な薬を使わざる得ません。高額療養費制度や、医療費を確定申告する等、後から取り戻す方法は無くもないですが・・・・・私はもし結婚してなければ、もし貯金をしていなければ、この高価な薬、生物学的製剤は使わずに、一生、妊娠しようとすることもなかったかもしれません。

私たち夫婦二人とオカメインコとの生活はまだ始まったばかりです。子供ができるかどうかはまだ分かりません。これからそんな日常を自由帖に書くみたいに、落書きみたいに、好きなように書いていいじゃないか!(=よかろうもん!)です。

ブログを後で読み返して思い出せるようにするためと、あと、ちょっぴり、誰かの元気になればいいなと下心を持っています。どうぞよろしくおねがいします。